ドラえもんに登場する空き地の土管   中村太一


 もぞもぞと体を起こすと頭部に強い衝撃が走り視界が白く光った。少し遅れて額に激痛が走ると、のび太は両手で額を抑え無意識に「やめて」と叫んだ。「やめてよ。もうほんっとにやめてってば!」
 叫んだ声が反響して篭った。音が止むのをじっと待った。耳をすませても他の誰の声もしなかった。背中にザラザラした感触があった。手を伸ばすと腕が伸びきる前にすぐザラザラに触れた。ズキズキ痛む額をかばいながら、おそるおそる目を開くと暗闇だった。足元と頭からわずかに光が差し込んでいる。
 そうだ、空き地の土管で眠っていたんだった。のび太は思い出した。
 空き地で友達が来るのを待っていたのに誰も来ないから、土管の中で昼寝していた。
 額の痛みがおさまってきた。あたりは静かだった。土管の中でも空き地に人がいれば物音が聞こえるはずだが何も聞こえない。誰もいないのか。外は明るい。まだ昼間のようだ。
 土管を這い出ると、底抜けの開放感を感じて大きく伸びをした。「あ〜、気持ちいい。みんなも土管で昼寝すればいいのに」
 ついさっき土管の内壁に頭をぶつけたことなどとっくに忘れていた。
 しかし次の瞬間、空き地の尋常ならざる光景を見て、昼寝する前に友達を待っていたことも、昼寝から起きた時の開放感も、ここが空き地であるということも含めて、すべてが頭から吹き飛んでいった。
「なにこれ!」
 のび太は勢いよく後ずさりした。足がもたついて尻餅をつき空き地の壁に頭をぶつけた。
「イテテ」
 頭をさすりながら立ち上がり、改めてその光景を目にした。
 何十本もの土管が積み上げられている。いつもは三本しかないのに。高さはのび太の身長よりもずっと高い、電柱ほどの高さまである。土管は同じ向きに揃えて積まれ、ちょうど丸めたカレンダーを積むのと同じ要領で積まれている。端の土管は空き地の入り口の少し手前まで来ている。
 寝ている時にこんなことしたのかな。「それならぼくを起こしてくれてもいいのに」
 しばらくしげしげと積み上がった土管を観察したが、お腹が空いていることに気づくとすぐにやめた。家に帰ろう。
 空き地を出て道路を左に歩いていく。でも誰がこんなことしたんだろう。こんなに高くまで積み上げて、崩れたら危ないじゃないか。
「あれ? ここにも土管があるぞ」
 のび太は立ち止まった。空き地の隣にはカミナリさん家があるはず。なのにそこは平地になっていて、さっきの空き地と同様に土管が積み上がっている。
 のび太は気づいた。さてはカミナリさん、引っ越して行ったんだな。しめしめ。これで心置きなく野球の練習ができる。
 カミナリさん家があったブロックを横切り、次のブロックを目にした時、のび太は目を疑った。
「ここにも土管がある」
 さっきと同じように平地に土管が積んである。いや、よくみると土管が増えている。空き地の入り口まで迫っていた土管がここでは入り口を飛び出して道路にまで入り込んでいる。一体、何がどうなっているんだ。
 のび太は土管を乗り越えるようにして道路を進むと、今度はため息を漏らした。「うそでしょ」
 次のブロックも平地になっていて土管が積まれていた。土管の数が増えていて、平地からはみ出た土管が道路を完全に覆い尽くしている。道路にはみ出て積まれている土管も高さはのび太の背丈の倍ほどある。
 さすがののび太もこれは何かがおかしいと思った。こんな場所はなかったはずだし、それにさっきから人っ子ひとり見かけない。
「ドラえもんのいたずらだな」
 そう結論付けたのび太は前に進むことにした。高く積み上がっていても土管の中を通れば向こうにいける。
 道路にできた土管の壁を前にしたとき、その存在感に圧倒された。はじめて東京タワーを見た時のことをなんとなく思い出した。
 高いところにある土管に入ると向こう側に出るとき頭から地面に突っ込んでしまう。低いところにある土管に入る方がいい。のび太が足元にある土管の中に入ろうと身を屈めると、向こうに人影が見えた。土管の向こうに足が見える。
「なあんだあ、人がいるんじゃん」
 のび太は嬉しくなって「おーい」と声をかけた。屈めていた体を一旦起こしてみる。自分と同じぐらいの背丈かなと考えつつ、のび太は土管を覗く。二段目の土管から向こう側にいる人の腰のあたりが見えた。三段目の土管は胸からと肩が見えた。四段目は……、あれ? 何もない。
 もう一度、三段目を見る。胸が見える。改めて四段目、何もない。どうして?
 三段目、ちゃんと人がいる、よし。
 四段目、何もない、おかしい。
 のび太は土管をよじ登って五段目を見た。土管の中に血まみれの人間の生首があった。
 のび太は思わず手を離しお尻から地面に落ちた。声にならない悲鳴をあげるのび太の目に、二段目の土管を這ってくる頭部のない人間の胴体が映った。向こうにいる人は頭がなかったのか。
 圧倒的な死の予感がのび太を襲った。ダメだ、死ぬ、殺される、ぜったいに殺される。
 体が動かなかった。どうしてこんなときに。足に力が入らない。立ち上がれない。
 頭部のない胴体が二段目の土管を這ってくる。五段目の土管に生首が見えた。それは転がっていた。どうして動くんだろう?
 五段目の土管から生首が落ちてくる。のび太の全神経がその光景に集中した。あたかも自分の未来を予言しているかのごとく感じた。ぼくもあんな風に首を落とされるんだ。
 地面に落ちた生首は今にも止まりそうな速度で転がりつづけ、ちょうどその切断面を下にして立った。そして彼はじろりとのび太を見た。
 その瞬間、のび太は立ち上がり走り出した。
 土管を乗り越えひたすら走った。走れど走れど土管の積まれた空き地がつづいた。いつになったら終わるんだろう。走りながらのび太は一つのことだけを考えつづけた。さっきの生首、ぼくの顔にそっくりじゃなかった?
 空き地は横切るたびに積まれた土管が減っていった。なぜかそのことがのび太を安心させた。空き地は徐々に見慣れた風景に近づいていった。
 土管が三本の空き地にたどり着いた時、のび太は不意に後ろを振り返った。首のないあいつはまだずっと向こうにいる。
 道路はそこで壁に阻まれ行き止まりだった。あいつがずっと向こうにいるとしても、いつかはこっちにやってくる。
 空き地に入ると三本の土管の前の地面に字が書かれていた。

 のび太くん
 ぼくは君のところに行けないみたいなんだ
 だからこうしてメッセージを送ってる
 ひとつだけ守ってほしい
 絶対にそこから逃げちゃダメだよ  ドラえもんより

 逃げちゃダメ? よくそんなことが言えるね。のんきなもんだ。
 その時、どこからか声がした。
「のび太さん」
 しずかちゃん?
 のび太は思わず大声で叫んだ。
「どこにいるの?」
「ここよ」
「どこ?」
「ここよ。土管の中、見てみて」
 のび太は土管に駆け寄って一つずつ中を覗いていった。すると、三本のうちの一本だけ、覗いたときに向こう側にしずかちゃんの顔が見えた。のび太は驚いて土管から顔をあげて向こうを見た。土管の向こう側にしずかちゃんはいない。もう一度土管を覗くとしずかちゃんが向こう側に立っているように見える。
「しずかちゃん、どうしてそこにいるの?」
「こっちが訊きたいわ。どうしてそこにいるの?」
「ちょっとまって。だってしずかちゃん、いま空き地にいるの? この土管の外からじゃ、しずかちゃんの姿が見えないんだよ」
「意味のわからないことは言わないで。はやく出ておいで」
「出ておいで? ぼくはいま土管に入ってないんだよ。土管の外に立ってるんだよ。出るも何も、ぼくは入ってないんだよ」
「何言ってるの? あなたはいま、土管の中にいるのよ。そのことがわからないの?」
「土管の中だって? ちゃんとぼくが見えてる?」
「いいからはやく来なさいって。時間がないんでしょ」
 のび太は首のない胴体が迫っていることを思い出した。土管を這ってしずかちゃんの方へ行くことにした。しずかちゃんの言う通り土管の向こうへ行くことがもっともいい方法だとなぜか思った。
「しずかちゃん、今いくよ」
 のび太は土管の中に身を入れた。
「はじめからそうすればよかったのよ。もう、まったく」
 拗ねるしずかちゃんの声を聞くと途端に胸に安堵が広がった。もう大丈夫だ。
 土管の出口に近づくとしずかちゃんが手を伸ばしてきた。
「ほら、手を伸ばして。わたしの手をつかんでいいから」
 さっきまでの恐怖はどこへやら、のび太は笑みをこぼした。
「しずかちゃんは優しいなあ」
「ほらはやく。ぜったいに後ろをふりかえっちゃだめだからね」
「もうしずかちゃんのことしか見ないよ」
 のび太は笑ってそう言った。あともうちょっとだ。
「何があっても後ろを見ちゃダメだからね。いい?」
「ぼくは前しか見ない男だよ」
 しずかちゃんに冗談を飛ばしていたのび太だが、近くにつれ、しずかちゃんが深刻な表情をしていることに気が付いた。
「その調子よ。その調子で進んで、後ろを見ちゃダメよ。……キャッ!」
 のび太の足首に冷たい感触が広がった。全身が凍った。冷たい手のひらが足首を掴み、のび太を捉えた。
「なになに!?」
「いいからはやく。うしろを振り返っちゃダメよ。早くきて」
「わかった」
 のび太は足をデタラメに動かした。靴が脱げた。同時に冷たい感触が消えた。
「のび太さん、泣いている場合なんかじゃないわよ。はやく進まないと」
「だって、だって、……」
 のび太は腕を伸ばししずかちゃんの手を掴んだ。しずかちゃんに引っ張られ一気に土管の外に出たのび太はその勢いのまましずかちゃんに抱きついた。
「怖かったよお」
「さあ、もう大丈夫よ。怖い夢でも見てたのね」
 しばらく泣きつづけた。
 のび太の涙が落ち着いてきたころ、しずかちゃんが肩を叩いた。
「さあ、もう帰るわよ」
「でもどうしてぼくが土管にいるってわかったの?」
「なんでもわかるわよ」
 しかしその時、さっき通った土管の中から、聞き慣れたドラ声が聞こえた。
「のび太くん、その子はしずかちゃんじゃない」
 のび太は思わず土管を覗こうとしたが、しずかちゃんに肩を掴まれ止められた。
「もう帰りましょ。きょうはもう遅いわ」
「しずかちゃん。ドラえもんがどこにいるか知ってる?」
「ドラえもんならあなたの家じゃないかしら。わたしは知らないわ」
 のび太は目を見開き歩き出したしずかちゃんの背中を凝視した。
 ドラえもん? しずかちゃん、いつもドラちゃんって言ってるよね。
 のび太はその一言を言い出せなかった。





中村太一
作家志望の社会人。円城塔や綿矢りさ、羽田圭介が好き。ツイッター→@toooooichi101

ドラえもんに登場する空き地の土管を連想しました。